イナソロ一日一曲!今回は「絶対(的)」
久々に考察チャンネルらしく、手堅く攻めてみましょうか。「絶対」ってみなさん、どんな時に使いますか?
- 明日絶対行くよ!
- 君なら絶対できる!
- 絶対(ぜってー)見てくれよな!
(来週の次回予告w)
このように、日常的には「100パーセント」っていう意味で使われるのが一般的だと思います。
「絶対」のもう一つの意味
でも、別の意味もありますよね。たとえば数学の「絶対値」とか、Excelを使う人なら「絶対番地」とか。そういう「絶対」は「100パーセント」とは少し違って、学校で初めて聞いたとき、「何これ?」と思った記憶がありませんか?
…つまり「他と比べない、それだけで完結した存在」という意味。これを「絶対」という単語は持っているんです。哲学とか数学的な意味での「絶対」。英語で言えば “absolute” ですね。こちらは日常で使う場面は限られますが、
- ①100パーセント
- ②他と比べず完結している
(「相対」の反対)
という2つの意味があるわけです。そして大事なのが、どちらにも共通しているのは「変化しない」「ゆるがない」というニュアンス。まさにこの「絶対(的)」という歌詞の内容全体を貫く、芯のようなテーマになっています。
3回ともちがう「絶対」
じゃあ何がどう「絶対」なのか? …ここがおもしろいんです。というのも、サビで3回「絶対」っていう単語が出てくるんですけど、毎回ちょっとずつ変わっているんですよ。1つずつ見ていきましょう。
1回目の「絶対」――絶対値のイメージ
誰とも比べない 君という人だけが 絶対
これはまさに「絶対値」の「絶対」ですね。ほかと比べず、独立に存在している君だけが「絶対」。存在自体が比べられないほど尊い、というイメージです。
2回目の「絶対」――100パーセントの意味
こんなに臆病になった自分の負けは絶対
ここは「100パーセント」という意味ですよね。「必ず負ける」と決まっている、というニュアンス。さっきと違う種類の「絶対」です。
3回目の「絶対」――二つの意味が混ざった表現
真っ黒い闇の中 待っている 君だけが 絶対
これは両方の意味が入っていませんか?
- 【解釈①】100パーセントの確率で、闇の中に君は立っている。
- 【解釈②】比較対象のない闇の中で、君の価値だけがゆるぎないものとして存在する。
闇の中に立つ君が「絶対的存在」であるし、「絶対立っている」という確信もそこにある。そんなふうに意識的に使い分けているんじゃないかなと思います。だからこそタイトルにも「絶対(的)」と書いているのでしょう。
「(的)」をつけた理由
この「(的)」をつけるかどうか、稲葉さんは迷ったそうですが、最終的につけて「よかった」とファンクラブ会報に綴られています。では、この「(的)」の意味とは一体なんでしょう?
【実験①】もし「(的)」がなかったら?
タイトル「絶対」
→「100パーセント」のイメージに見えてしまう。
【実験②】もし()がなかったら?
タイトル「絶対的」
→哲学的な雰囲気が強まり「100パーセント」の意味が薄まってしまう。
【実験③】()がついたら?
タイトル「絶対(的)」
→どちらの意味も含まれそう!
…おわかりいただけただろうか (^^)
このように、括弧つきの「絶対(的)」だからこそ、「絶対値」的な意味と「100パーセント」の意味を両方漂わせつつ、どちらにも断定せず、稲葉さんらしい“余白”のある表現になっていると感じます。(的) が曲全体に「ゆらぎ」や「余韻」を与えているわけですね。
東洋と西洋での由来
もうちょっと深掘りしてみましょう! この「絶対」って、世界中の歴史を見るときに洋の東西どちらにも似た用語が生まれているんですよね。
- 中国思想
「絶対」という言葉があり、日本にもそのまま入ってきたようです。「絶」は断ち切るの意味で、断絶の「絶」。そして「対」は向かい合うとか関係性を意味します。つまり「関係を断ち切る、相手から切り離された存在」が「絶対」です。仏教には「絶対無」という完全な無という概念もあります。 - 西洋哲学
英語の “absolute” はさらに分解できて、接頭辞 “ab-” は「離す」、 “solute” は「解く」という意味。つまり「他との関係から解き放たれた」というのが原義。古くから「絶対値」「絶対者」「絶対的真理」など、ちょっと硬い言葉で使われてきたわけです。
こうして中国でも西洋でも「絶対」という概念が独自に生まれ、似たように使われてきたというのは、人類史として興味深いですよね。
そうやって中国や西洋で育まれた「絶対」という言葉が日本に受容され、さらに長い年月を経て、稲葉浩志という作詞家が「絶対(的)」という作品に詩的・文学的に昇華させた…。
この歴史、熱くないですか!?
人類史からたどる「絶対(的)」のロマンに胸が踊ります。歌詞自体もラブソングとして真っすぐな思いを綴っていて、とても素敵な曲ですよね。
恋愛だけにとどまらない?
「絶対」の哲学/宗教的な意味をふまえると、「君だけが絶対」と言っている「君」は、恋愛対象だけでなく、信仰の対象とも解釈できるし、神様にだって置き換えられそうです。稲葉さんがよくやる「多義的な歌詞」の手法ですね。ラブソングかと思いきや別の概念にも読める、重層的な表現です。「Symphony #9」もこれに当てはまります。
B’zの「Magnolia」のような一途なラブソングでもあるのに、観念的でわかりづらい部分もある。サビでは「大好きだって言われたい」とストレートに歌っていますね。その言葉の価値すら「絶対」に感じさせる――そこがこの曲の味わいどころだと思います。
肉欲的な描写との融合
歌詞の中に「愛かどうかなんてもうたくさん」みたいな、ちょっと肉欲に走っているような描写も出てきます。「JEALOUS DOG」の「恋とか愛とかにゃまるで興味がない」という雰囲気とも似ていますが、今回の曲では「絶対」という頭の良さそうな言葉を使っているぶん、ギャップがおもしろいですよね。
恋や愛なんて呼ぶ必要もないほどに、君は絶対(的)な存在なんだ――だから説明は要らないんだ。そんな理屈にも感じられます。「SAIHATE HOTEL」における「恋に落ちるということは○○○こと」という定義づけめいた歌詞とは真逆の歌詞ですね(どちらも大好き)。
曲の最後のほうには「永遠に続くものはない」という仏教的な無常観も表れていて味わい深さを感じます。すごくおもしろい曲だし、ラブソングとしても元気が出る、名曲だと思います。
さらに深い分析の可能性
もっと奥深い分析としては、日本がどうやって「絶対」という言葉を受容し、使ってきたか? ということ。というのも、明治維新以降に多くの抽象的な概念が翻訳されて定着していく過程で、「絶対」もまた変化を遂げたはずだからです。そうした哲学的・言語学的な研究はすでにあると思いますが…興味は尽きませんね!
私自身、文学部にいたくせにそうした研究はやってこなかったのですが…でもまぁ、こういうインフルエンサー(的)な立場で遊び感覚で話すのもまた楽しいです。
言葉について言葉で語るのは難しいけれど、楽しいですよね! 聴いて考えて、また聴いて……そんなSpiralの中で、これからも時間をかけてこの曲の核心に迫っていけたらと思います。というか、一緒にいきましょう! ぜひコメントであなたの発見を教えてくれたら嬉しいです。
じゃあまた明日、別の曲でお会いしましょう。
「絶対見てくれよな👍」
おつかれ!
【今回言及した曲】
- Symphony #9
- Magnolia(B’z)
- JEALOUS DOG
- SAIHATE HOTEL
- The Spiral(B’z)
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