イナソロ一日一曲!今回は「arizona」
旅したくなる、独特な曲
旅したくなる曲ですね! 都会(=ふるさと)を離れた清々しさの一方で、寂しさはずっと残り、そいつらがないまぜになっている。しかも稲葉さんらしい虚無感とかむなしさがベールのようになって、曲全体を覆い尽くしている。そんな独特の空気感の曲になっています。
一見地味に聞こえるかもしれませんが、この曲が感受性に刺さる人にとっては、なんだかいろんな色味や彩りを感じることができる…実はそんな曲かもしれませんね。
冷えた地面にねころがろう
いま、冷えた地面にねころがっております。何かが遠くで吠えていても全然怖くないけど、周りの視線が痛いです(痛いよ…あぁ痛いよ…!)たくさん人が通っています。そろそろさすがに起き上がろうかな。
寝転がって気づきましたが、空ってすごく広いですね。ほら! …何もない空でした。よいしょ。いたたたたた。斜面になってた(笑)
“arizona” という曲のすごさ
「arizona」という曲は「ヘッドライトを消して走ろう」という歌詞から始まります。ライト=文明とか「ライトをつける」という社会の細々したルールからかけ離れた土地を旅してる。そんなムードが最初の一行目でバッと立ちのぼってくるのが稲葉さんの歌詞のすごいところです。
冷えた地面にねころがるのも、都会のど真ん中じゃなかなかできないですから。いまちょっと地方…東京の中でも地方寄りのところなんですけれども、寝転がっておりました。
「ただでくれた口づけ」の衝撃
この曲を初めて聴いた時の衝撃を受けた歌詞としては、あれです!
「あなたが ただで僕にくれた 口づけは 星のように 輝き続ける」
――「口づけに “タダ” とかあるんだ…」っていう衝撃を受けました。
あらゆるものがお金と交換できる貨幣経済、資本主義社会の中で、恋愛っていうのはそういう切り取り方ができるのか、と。この1行でそれをすごく感じ取って衝撃を受けたのを覚えています。
同時に、「僕なんか、ただでもらっちゃいけないのに、あなたは僕にただで口づけをくれたんだよね」という、そのありがたさを感じる主人公のちょっと卑屈な感じとか、「あなた」という女性を崇高な人として描く敬意みたいなものを、この歌詞の行間から感じ取り、僭越ながら私も稲葉さんにシンパシーを覚えました(笑)
といっても初めて聴いた中三の時の私は、ここまでは言語化できていませんでした。しかしインパクトだけは鮮明に覚えています! ただでもらった口づけ…。中三だから自意識をせっせとこじらせてた頃ですね。
でも、そのこじらせ具合は『マグマ』というアルバムのせいで、最先端からさらに加速していたと思います。そして今に至ります(´.-`)
怖くないけど「痛いよ」
それから15年の時を経て、あらためて「arizona」の歌詞を読んでみると、ちょっと不思議なことに気づきました。
この主人公、怖くはないけれど「痛い」んですよね。ヘッドライトを消して真っ暗な道を走る――「それでも僕は 怖くない」。でもサビでは「痛いよ 痛いよ」「誰かそこを なでておくれ」と嘆く。
強いけど、無敵じゃない、あるいは強がっているだけかもしれない。痛いのは旅の疲れによる体の痛みもあるかもしれないけれど、きっとそれよりも、心の痛みでしょうね。
孤独とか生きづらさ、繊細な感受性で傷ついてきた心。それは日本にいる時にできた傷なのかもしれないけど、アリゾナを旅しても、そいつらは消えてくれなくて、形を少しずつじわじわ変えながら深まっていく。そんな痛さなんだろうなって気がします。
怖くはないけど、痛い。
過去の記憶と「絆」の命題
「arizona」は、歌詞の構成や展開のしかたもすごくおもしろいです。2番の途中まではすべて、アリゾナを旅する現在の自分の描写を続けています(※「ともに過ごした」回想は一瞬ある)。
でも2番の途中、「水のない河を泳ぐように 僕らは必死にもがいてた」という歌詞で突如、過去の描写に切り替わります。「もがいてた」とあるので、「ふるさと」のみんなと一緒にもがいていた記憶でしょう。
アリゾナに来る前の人々との連帯の記憶でもあるわけです。しかもその後には「結ばれること 離れることで 人の絆は強くなっていく」という命題が提示される。ここがちょっと不思議です。
なぜアリゾナで、故郷を離れた主人公が、かつての「絆」というものを大事に思うような一行が突如はさみ込まれるのでしょう?
寂しさを感じる人が、故郷を離れたことのメリットを見出して自分の旅を正当化したい。そういう潜在意識が働いているのかもしれない。「いや、たしかに寂しいけど、離れたことで絆は強くなっているんだよ」と自分に言い聞かせるかのように。
それとも過去…他者との記憶を胸に秘めて、ここから一人で旅していくために、ぐっと何かを飲み込むようにこの一行を絞り出したのか? …解釈は人によって違うと思いますが、ここもすごく人の心の奥深さをじんわりと感じる部分です。
「どこまでも眠り続けよう」の解釈
そして最後の歌詞です。最初はヘッドライトを消して「走っていた」はずの主人公ですが、終盤では「どこまでも眠り続けよう」という歌詞に変わっています。「走る」から「眠る」へと変化している。ちょっと不穏な空気が漂っていませんか?
「このまま埋もれて 生まれ変わりなど 信じてみようか」という歌詞もあって、なんだか死を暗示しているようにも見えます。
「夢だろう すべては 生まれてくること 死ぬこと」という歌詞もありますね。これを踏まえるなら、もしかしたら、逆の解釈もできるかもしれません。
つまり、夢を見続けるためには眠り続ける必要がある。かつ、「夢」っていうのは「生まれてくること」や「死ぬこと」を含む「すべて」のこと。
それならば、「どこまでも眠り続けよう」とは、「生き続けよう」ということを示すとも読める。眠り続けることで人生という「夢」を見続け、どこまでも進み続けよう…。そんな解釈もできるかもしれません。
感情を過剰に込めない稲葉さん
底知れぬ空虚な空気感が漂う歌詞だからこそ、「あなたがくれた口づけ」というロマンチックな描写が一層際立っていて、この曲唯一無二の特徴になっているんじゃないかなと思います。
今回「arizona」を聞き直して、あらためて思ったんですけれども、稲葉さんの歌い方って感情を過剰に込めすぎることがないですよね。
稲葉さんの声が楽器のように感じられる理由ってのは、ここにあるのかもしれない。音色が極端に崩れることがないし、「感動させてやろう」という品のない下心が全く見えないんです。
だからこっちは聴いていても疲れないし、何度でも聴ける。パワフルな曲なのに疲れないし、近すぎず遠すぎず、なんだか適切な距離感で歌い上げてくれるような気がしてくる。
それは歌詞の内容と同じですね。人との距離感とか、社会との適切な距離感、客観的なまなざし…。そこにじんわりと表面張力程度の主観、稲葉さんの本心のようなものがのぞいている。
まあだから、稲葉さんの「心」――出力の大もとがそうなっているんだろうなと思います。距離感が心地よいなと感じるから、私は稲葉さんが好きなんだと思います。
おわりに
今回も東京都内で撮影しているんですが、地方出身の私からすれば、見ず知らずの土地という意味では、ここ東京もアリゾナみたいなものです。
まあそうやって抽象化して自分に当てはめるのは簡単なんですけど、やっぱりこの「arizona」という曲の独特の空気感や歌詞を読んでいると、単に「未知の旅先」というメタファーとしてアリゾナを捉えるんじゃなくて、本物のアリゾナを体験してみたいなと思えてくるんですよね。
みなさんもそう思いませんか? なのでぜひこの動画を見終わったら、YouTubeで「Arizona」と検索して、その土地の動画なんかを観て、その場所の空気感をリアルに味わって!
その上で「あ~アリゾナってこんな土地なんだ」と思いながら、再び稲葉浩志の「arizona」を聴き返してみてはいかがでしょうか。
私もぜひそうしてみたいと思います! それでどう感じたか、「アリゾナっぽいな」とか「いやもうちょっと違う印象を受けた」みたいな感想も、みなさんと共有していただけたら嬉しいです。
はい、そしたら今日はそんな感じで。また明日から更新していきますので、別の曲でお会いしましょう。おつかれ!
【今回言及した曲】
- なし
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