イナソロ一日一曲!今回は「Soul Station」。
手も洗わずTVも消し忘れ~♪
ってな具合で始まるわけですけれども(笑)。スタジオの時間がちょっと余ったんで弾いてみました。
もう出なきゃいけないんで、続きは外で語ります!
音楽と歌詞の世界への憧れ
この曲は高校生の頃めっちゃ聴いてましたね~! 大好きでした。
どこかにたどり着きたいけど、どこに行けばいいかわからないし、そもそもどこかに踏み出すことすらできるのかもわからない――そんな青少年特有のモラトリアム的な気分を描いた世界観が好きだったんだと思います。
みなさん、この曲好きですか? 好きな場合はどんなところが好きですか?
私はあらためて考えたら「なんでこんなに好きだったんだろう?」って思うんですよね。
私をヒモとして養ってくれる人がいた経験もないし、あそこまで引きこもっていた記憶もない。
じゃあ、なにが良かったのかな? と考えると、「憧れ」が大きかったのかもしれないですね。自己肯定感が低い中でも、受け入れてくれる人が一人いることへの憧れ。
すごくセンチメンタルな歌や音楽、言葉の世界観に包まれて生きることへの憧れ。学校生活の嫌なこととか、そういうフツーのことじゃなくて、もっと幻想的な別の世界への憧れ。
「Soul Station」という音楽世界に、そういう憧れを持っていたような気がします。気分としては、「真っ赤に溶けて注がれる場所」を求めてたようにも思います。具体的にどこってわけじゃないんだけど…。
満たされないことばかりだったから。そんな心情を持つ人に響く歌なのかもしれませんね。
稲葉浩志の孤独の歌声
あとは「憧れ」だけじゃなくて「共感」する部分もあって。それは「誰の言葉も届かない」っていう最後の叫びです。
やっぱり「孤独」への共感ですね。稲葉さんが描く、切々とした叫びで表される孤独。救いを求めているような気がするし、でもそれがすごくかっこいい歌になっている。「あぁ…いいなぁ」って今でも思っています。
駅近物件で聴くべし…?
社会人になってから私、駅近の物件に住んでた時期があるんです。寝室のすぐそばに電車の高架があって、その音が聞こえる状態。
ちょっと鬱っぽくて1週間ぐらいずっと寝たきりだったことがあるんですけど、その時に「Soul Station」を聴いたらめっちゃしみましたね。
あの電車に、あの駅に、いろんな人の魂(ソウル)が集まって運ばれて、それぞれどこかへ向かってる。でも自分はどこにも行けない。Soul Stationに赴くことすらできなくて……それがなんか切なくて。
歌詞の物語とは厳密に違うかもしれないけど、「違う景色を見たい」ともがいても、駅や電車に乗れないような…そんな気分を味わっていました。
…ちょっと、やっぱりこの曲は語るのが難しいですね。いったん切りますわ。

救いのなさと終わりのなさ
はい、帰宅しました。仕切り直します。
「Soul Station」の特徴は、救いがないこと。最後まで魂(ソウル)を誰も救ってくれないし、どこに行けばいいかもわからない。ただ出発したいと願っているだけで、終わっていく。この救いのなさと終わりのなさですよね。
そう、終わりがないんですよ。もがいている魂の在り様が、「誰も救えない」と言いながら、音楽もフェードアウトしていく。はっきり「ジャーン!」と終わらないで、どんどん小さくなっていく…。
歌詞の内容的にも「誰の言葉も届かない」と、一人でただ悶え続けるような感じ。高校生の頃って、現実を変えてほしいんだけどどうしていいかもわからなくて、ただ日々が続いてました。
でも受験はまだ先で(笑)その日がすごく遠く感じる。だからこの「終わりのなさ」という生きたまま、なぶりごろしにされているような気分を「Soul Station」という曲が癒してくれたんでしょうね。音楽に変えてくれるから。
与える段階にいない主人公
「Soul Station」の主人公は、まだ誰かに「与える」段階にいないですよね。他者からの理解を求めているように見える。
「誰の言葉も届かない」って、届けてほしいからこそ届かないことを嘆いている。「届けてほしい」気持ちが根底にあるからこそ、届かないことを嘆いていると思うんです。そこをよく見るとやはり「誰かに届けよう」なんて発想には至れていないんですよね。
よく言われる「コップ理論」でいうと、自分のコップに愛情や理解が満ちていないと誰かに分け与えることはできない。主人公は愛情が貯まっていなくて、「僕の魂(ソウル)に届く言葉を全然届けてもらえてない」状態。だから何かを「与える」気持ちまでいけないのかなと。
高校生の頃の私がそんな主人公に共感していたのは、まさにそのあたりが理由だと思いますね。
「Soul Station」と「Little Flower」
一方、前の動画で話したように、今の私が重なっている曲は「Little Flower」なんですよ。
「Soul Station」みたいな孤独を経て向かう先を見つけたし、「与えたい」という気持ちを持ち始めた。
与えたことばかり覚えていた
僕に おやすみ小さな花を抱きしめる君を
抱きしめてみたい
今度は僕が
…そんな、利他的な姿勢が、今の自分に重なっているんです。だから「Soul Station」の時期はもう過ぎ去った感じがあります。
でも、絶対に大切な時期でしたね。こういうモラトリアム的な、悩みまくる時間って、やるべきことややりたいことが固まってくるとなかなか取れない。だから当時はすごく重要な時期だったなと思います。孤独とか、無知ゆえにどうしていいかわからない無力感に苛まれた季節。
音楽もドラマチックな展開ですよね。「あたらしい人を知ったと 君は言い放ち」っていう歌詞へと進むドラムが劇的だったり、ギターソロのコード進行がⅠ(トニック)から♭VIIに行く(多分)かんじとか、すごく好きなんですよね。
あとは「この心に火はつけられないままで~♪」の「で~♪」がファルセットになってたり。稲葉さんの表現力がすごく際立ってると思います。
『マグマ』における位置づけ
「Little Flower」の回で私は、『マグマ』とは、「冷血」から「Little Flower」へと人が成長するアルバムではないか? と語りました。その流れでいうと「Soul Station」は真ん中ですね。
「冷血」は、人との関わりなど気にしないような不気味さがあって、「Soul Station」では痛みを感じる主人公になっている。そして最後に「Little Flower」で愛情を知り、誰かのために生きたい気持ちへたどり着く――そんなストーリーを感じます。
それはやっぱり稲葉さんご本人の経験もあるのかもしれない。とはいえ、稲葉さんが精神科に通ってたなんて話は全然聞かないし、ドキュメンタリーなんかでもそんな素振りは見えない。なのにここまで繊細な歌詞を書けるってすごいですよね。
もしかしたら本当に深刻に病んでいたわけじゃないからこそ、作品として深い歌詞にできたのかもしれない。「音楽家に必要なものは?」という質問に「健全なる魂」と答えていたのを思い出します(ファンクラブ会報)。
健全だからこそ、こういうドロッとした部分を創作のネタにできたのかな、と。私が病んでいた経験があるからこそ、そう思えるんです(笑)
このように、「冷血」から「Soul Station」を経て「Little Flower」に至る流れは、人が痛みや孤独を経て成長していく過程を描いているんじゃないかなと思います。孤独や自己実現への葛藤が永遠に続きそうで苦しい。それでも周りは移動し続けるけど、自分は動けない…。「誰の言葉も届かない電車の音だけが聞こえる」。そんな姿が「Soul Station」の主人公ですよね。
でも主人公がいつかは「Little Flower」のように誰かに与える気持ちを持てるかもしれない。そんな希望も、稲葉さんの描く世界には感じられると思います。私にとって「Soul Station」はこれからもずっと大切な曲だし、ひたすら聴いてたあの時期も大切なんだと今は思えますね。
結び
「Soul Station」は稲葉さんが健全な魂で、健全じゃない人物の成長過程の真ん中の「痛みを知った段階」を描いた曲。その痛みとは、孤独や分かり合えなさ。
そして自己実現欲求。どこかに行きたいと願っているけれど、それがどこなのかわからない。その葛藤が永遠に続きそうで苦しい。
しかし周りの人たちは、そんな自分のことなど置き去りにして移動を続けている。「小さな街では今日も だれかが去り だれかがやって来る」という歌詞のとおりですね。でも自分は動けずに「誰も乗らない電車の音だけが聞こえる」という孤独。やり場のない思い…。
そんな苦しさが詰まっているのが「Soul Station」という曲なんでしょうね。 ちょっと最後、 ふわっとしたというか、あまり整理がつきませんでしたが、今回はあえてバーっとしゃべるだけにさせてください(笑)
あの、ほんとにこの曲はね! 大事な曲なので、逆に語れないですね。 やっぱそうなると「考察するのもなんか違うし」っていうことで…。
今日はちょっと、あえてこんな感じで終わらせてください。 あとで自分でも見返して、また考えを推し進めていきたいと思います。
ではまた。おつかれ!
【今回言及した作品】
- 「Little Flower」
- 「冷血」
- 「さまよえる蒼い弾丸」(B’z)
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