編集後記|愛なき道

編集後記

「愛」は誰もが使う普遍的な言葉でありながら、罠のような言葉です。一見きれいで、酔いしれるほど甘美な感情ですが、それをふりかざして信じるものを正当化すれば、たやすく暴走してしまう。争いの口実にだってなるし、なんなら戦争だって起こせます(このあたりはB’z「愛と憎しみのハジマリ」でも描かれていますね)。

愛という言葉は、それほどまでに厄介。だからこそ、愛について立ち止まって考えさせてくれる「愛なき道」を奥深いと感じるし、いつまでも気になってしまうのだと思います。ルールとしての「愛」を手放して走り続けた先に、人それぞれ異なるかたちをした「真の愛」がみえてくる。「地平線の果てに見える 信じられるもの」とは、まさにそのことではないでしょうか。

私は、稲葉さんが「愛なき道」で行なった “愛” という言葉の見直しを「愛の解体」と呼んでいます。いったん“愛”という言葉をバラバラにして、その中に潜むいろんな前提や思い込みを解体してみると、新しい愛のかたちが見えてくる。そんな知的実践のことです。

この曲には「愛の言葉はガラクタになる」という、一見ショッキングなフレーズがあります。動画ではふれませんでしたが、私はここでハッとさせられます。これは、フランスの哲学者ジャック・デリダのいう「脱構築」あるいは「解体」に通じるんです。

すなわち、ある言葉や思想をそのまま受け取るのではなく、細かく分析したり隠された前提を暴いたりして、新しい意味や可能性を見いだす作業。既存の言葉を一度バラバラにした上で、内側の構造を明らかにすることで、もっと深い真実を見つけ出すようなイメージですね。

「愛の言葉はガラクタになる」という歌詞は、まさにこの脱構築の結果です。「愛」という概念をいったんバラバラにして再定義する。稲葉さん、これを平然とやってのけるから驚きです。

しかもすごいのは、稲葉さんがおそらく専門知識なしで、聞きかじっただけの他人の言葉に頼らずに、ただただ自分の生身の人生感覚だけで、「脱構築」という哲学的境地にたどり着いていること。これって、もう真の賢さですよね。

初めて「愛なき道」と言われたら「冷たく突き放す曲かな?」と思うかもしれないけど、真逆ですね。解体と再構築をするからこそ、本質をあぶり出し、従来の“愛”のイメージを超えた深いところまで行ける。稲葉さんは初のソロアルバムの作詞でそれを実践しています。いや、すごすぎる。

…愛ってやつは難しい。でも、やっぱりすばらしいものだ。そんな結論を信じるための勇気をくれる、とても深い歌だと思ってます。「愛と罪どちらが先か」など他にも深いテーマが散りばめられていますね。本稿では扱いませんが、ぜひ細部までしっかりと注目し、何度でも聴き返していきましょう。

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